構造構成主義と鍼灸論

ここにある内容の多くは。わたくしのセミナーの中やスタッフ等に話していたものをまとめたものですので、体系的内容とは言い難いところがありますのでご了承ください。

構造構成主義と鍼灸界

最近知った学問ですが、「構造構成主義」という学問があるんですね。
「西條剛央」という先生によって体系化されたそうです。

まだ、きちんとした書籍は読んでいないんですが、現在非常に関心を持っています。
構造主義というのは、数十年前から知っていたのですが、私には、なんだかそれより理解できそう。

「以下ウィキペディアからの転載
構造構成主義(こうぞうこうせいしゅぎ、英語表記:structural-constructivism)とは、人間科学においてありがちな信念体系どうしの対立(信念対立)を克服し、建設的なコラボレーションを促進するための方法論あるいは思想のことである。」

うーん。青年時代から身を置いていた「武道の世界」「宗教の世界」そして現在生きている「鍼灸の世界」、全てに通じるんですね。現実問題「武道の世界」は直接戦えるから(刑法を無視すれば)本来信念対立なんか存在しない所なんでしょうが(現実は棲さまじいですが)、「宗教」や「鍼灸」なんて本当に厄介ですよね。

両方ともルーツなんて、あるようなないような、しかし他流をののしる「おバカ」な人間が多いのも事実なんですね。

このカテゴリーでは、鍼灸界の流派について私の思うところを、思いつくままに・・・・・

2010-03-10 鍼灸と流派、会派について

構造構成主義と鍼灸界2

前回の続きですが、この話を聞いてすぐに思いついたのが講道館柔道の創始者
「嘉納治五郎」先生ですね。
古流柔術の世界を、「精力善用」「自他共栄」というキーワードと、学校教育に取り込んでいった。それまでは、格闘技としてしか存在し得なかった「柔術」を見事に変えていかれましたよね。
理論だけではありません。警視庁の武術指南役を決める「ガチンコ対決」をも制しているのです。

ただ、ここで見落としてはいけないことがあります。
古流柔術を見下してはいなかったことです。それだけではありません。当時世に出始めた「唐手」や「合気道」(当時は合気術)などには、すぐに高弟を派遣して、弟子入りさせているんですね。そのまま、派遣先で骨を埋めた先生も多かったらしいですが。

ここですね、違うのは。ただ知りもしない他流を批判するだけではなく、しっかりと研究されていたのです。
ここら辺が「鍼灸界」ひいては「治療の世界」ではありえないことですね。

後、見落としてはいけないことが嘉納先生は学習院の教頭もされていたことです。当時の社会環境から考えて、かなりの社会的地位にいらっしゃたんですね。

現代武術界では、不可能ですね。試合のない武術ほど「妄想」が先行してきて、おかしなことになっていきます。鍼灸界などは、典型的です。

西條先生が言うところの信念対立の「呪」などというほどレベルも高くないと思いますね。というか、鍼灸界の厄介なところは、鍼灸師の価値観が違うんですよ。

当時の柔術家は、全て柔術が好き。柔術で食っていかなければならない。

鍼灸界は違います。全然。次回はこのところを。

2010-03-12 鍼灸と流派、会派について

構造構成主義と鍼灸界3

さて、前回の続きですが、鍼灸界は絶対に一本化できない理由があります。
まず、鍼灸師になりたくて資格を取った人が他の資格に比べて少ない。
高校の進路指導で、担任の先生から「鍼灸学校でも行け」と言われた人の比率が年々増えていますね。
かわいそーに。

そして、ペーパー免許で終わる人たち。毎年6.000人くらいの資格者が増えていると思いますが、10年後に鍼灸免許が必要な仕事に従事している方は、半分くらいではないでしょうか?

で、問題なのは鍼灸免許を必要とする仕事に従事している内容なのです。

1.開業・・・ここでも、保険を取り扱う、取り扱わない、で考え方がかなり違ってきますね。実際は「腕の違い」が考え方の違いになる場合が多いと思います。

2.勤務鍼灸師・・・・・とはいえ、手技抜きの純粋な勤務鍼灸なんかほんとに少ないと思います。

3.専門学校の講師・・・専任の方や開業しながらという先生もいらっしゃいますが、今では卒後鍼灸師の一つの就職 先になりましたね。しかし、これからは転職を余儀なくされる方が増えると思うのですが。

4.大学病院勤務鍼灸師・・・おもに、こちらの方々が鍼灸のEBMなどの研究をされていると思うのですが、開業鍼灸師とは、考え方にかなりの隔たりがあると思います。

さらに、各分野に各々の流派の違いが存在します。4.の場合位でしょうか、統一されているのは。ついで、2ですかね。

他の資格職業とは、次元の違う世界なのです。
             
2010-03-13 鍼灸と流派、会派について

構造構成主義と鍼灸界4

人間は自分の知らないこと、理解できないことには、なぜ敵意を抱いたり、見下したりするのでしょうか?

私はこの世界に入ってから、こんなことをいやというほど見聞してきました。

例1)カイロプラクティックで却って調子が悪くなった患者さんを、自分の鍼で改善した友人。

「だから、全てのカイロはだめなんだ」どうなんですかね。カイロで良くなった患者さんは、鍼灸院にはきません。それだけです。

    
例2)とある針灸院のHP
  カイロはだめ、鍼灸のほうが優れている。なぜなら、私もカイロの経験があるけどそれよりも「鍼」のほうがはるかに効果があるから。

  これなんかひどいものです。ご自分のカイロの腕が、関脇、小結程度で、鍼灸のレベルが大関クラスであれば比較をしてはいけないのです。自身の鍼灸の腕と同等のカイロの大関クラスと比較をするべきなのですが、これができないんですよ。人間てこんなものかいな?

例3)鍼灸同士の流派間論争、なまじ血縁関係が濃いもんだから他流の批判なんか聞くに堪えませんね。
  

もうお分かりになったと思いますが、信念対立などというものは「鍼灸界」には無いと思います。あるのは、もっと低次元の「無知」と「無恥」があるだけなんですよ。

この続きは・・・・・・科学的鍼灸上達論と科学的鍼灸院経営論で
 

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