東京高麗手指鍼協会
こまつ鍼灸院

流派を選ぼう!

流派(会派)を選ぶということ、

       指導者を選ぶということ。

まず、自分の治療法の核となる流派を選ばなければなりません。そして、それは治療法だけではなく、自分自身を鍼灸師という別の人間に作り替える最善、最短の方法だからです。

しかし、鍼灸には様々な流派(手法の違い)が存在します。何を基準選べばよいのでしょうか?

中医学(さらに学院派、古伝派)、経絡治療(何十と存在します)、現代医学的治療(トリガーポイント以外は統一されてはいません)、を柱として・・・式、・・・法、数え上げたらきりが有りません。また厄介なことに、A流派では禁忌なことが、B流派では可能だったりします。

ここら辺から、ある種の「宗教戦争」のようになってくるのです。

意味のない論争です。流派の中にある規範、禁忌などは、ほとんどがその流派の中でしか存在しないことを理解できない人たちの「妄想」だと思います。

絶対的真理と相対的真理という考え方が分かれば、たやすく理解できることなのです。

一つのことにこだわる、「大事さ」「愚かさ」の同居です。

また、六部定位脈診やこの病気にはこの経穴を使う、というのも絶対的真理と相対的真理で簡単に理解できます。六部定位脈診を否定しているのではなく、一番大事なことは六部定位脈診(全ての診断法に共通します)から治療に続く連続性と論理性、そして、結果です。

さて、では我々はどういう基準で鍼灸の流派を選べばよいのでしょうか?

短期即戦力型な流派もあれば、使えるまでに多くの時間がかかるものもあります。運動器疾患を得意とするものや、内臓疾患を得意とするもの、様々です。

選ぶ基準は、今まで生きてきた自分の感性、知識、知恵、財力を中心とした現在自分の置かれている環境、そして「縁」。それらで総合的に判断するしかないと思います。

武道を例えにして、ご説明いたします。

例えば、空手と柔道。戦う場所によりその優位さは変わってきます。また、柔道家が毎日6時間の練習をしていて、空手家が1週に2時間の練習しかしていないのであれば、そもそも比較はナンセンスです。また、同じ空手の世界でも、通いの弟子(週1~2回の稽古)と、内弟子(毎日6時間以上の稽古)では雲泥の差(技術だけではなく、それを行使する人間性も)です。鍼の世界でも同じことではないのでしょうか?

稽古量の多い方が、上手い(治せる)に決まっているのです。(必ずではありませんが)

ただし、誰もが内弟子になれるわけではありません。ここが、鍼灸の本質的な問題です。

昔の鍼灸界は、内弟子しか存在しなかったはずです。それでさえ、名人と呼ばれるには一握りの人たちだったはずです。

では、今の時代に内弟子に入れず、しかもあるレベルの強さ(治せる力)を身につける最善の方法とは?

それは、複合なのです。空手ならまず、空手だけをしっかり学びます。

その後、空手の体系を崩さずに柔道を学びます。これが、最も短期間で強くなる方法です。

(マニアックですが、大道塾という流派がこの方法です)

(柔道を核に据えるか、空手にするのかが、最終的には好みの問題なのです。)

武術が真に命のやり取りをしていた時代は、総合武術(剣術・柔術・手裏剣・・・・)が当たり前でした。それが、実戦から外れだし形骸化していきます。そして、趣味の世界に変わってくるのです。

ただ、自分ひとりでこれをやると大変です。これを体系化するにも、才能が必要になります。できれば、すでに体系化された組織を選ぶことができればベストでしょう。

誰もが一つの道だけを通して名人になることに憧れますが、なれるのはわずかです。

しかも、我々は趣味で鍼灸をやるわけではありません(全くいないわけではありませんが)。

武道の世界にも、鍼灸の世界にも、自分の師匠自慢、流祖自慢をする人がいますが(このようなことを、引かれ者の小唄と言います)、

問われるべきは、自分自身の強さと自分自身の治療技術ではないでしょうか。

己が勝たなければならないのです。負け続けたら、代わりの者が出てきます。

そして、死(廃業)です。

最低限の強さを、一日も早く身につけなければなりません。

あるレベルに達してから、その中の1つを極めればよいだけなのです。(私はこちらをお勧めします)

そうとなれば、後は上達のシステムが完備しているものを選び、練習あるのみです。

しかし、日常の練習は地味なものです。武道も、鍼灸も。

空手のある流派に入門して、1年もしないうちに今度は合気道、で次は中国拳法、・・・・・。

鍼灸の世界も同じです。1つの流派を最低3年は続けましょう。経絡治療がものにならず、今度は中医。これもダメで、トリガーポイント。こうなったら、後は転職するのが最善の方法だと思います。

結論はこうです

流派(会派)間には、優劣が存在しないことを知ろう。

優劣が存在するのは、それを教えている指導者の能力と、

それを学んでいる生徒自身にしか存在しないことを知ろう。

さて、私のような凡人にとっては、鍼も武道も上達のシステムが完成しているものを選ぶことが大事なのですが、ではどのような人に教えを請えば良いのか。

これも、武道(かなり昔の話ですが)を例にとってご説明したいと思います。

昔、昔、宮本武蔵(二天一流)という剣豪がいました。四十歳を過ぎたころ、尾張家(今の名古屋)に召抱え(就職ですね)の話がありました。

そこで、お殿様の前で試合をしたんですね。その結果で採否を決めたそうです(就職試験です)。

その時、武蔵はただ構えただけで相手は「参りました」と言ったそうです。ほんとに強かったんですね。

尾張の殿様は、迷うことなく「召抱える」と言ったのです。

ところが話はこれで終わりません。これに、待ったをかけた人がいたんですね。

だれか? →尾張家剣術指南、柳生兵庫助(やぎゅう ひょうごのすけ・柳生新陰流・柳生十兵衛のいとこ・歴代新陰流の中で最強という説もあります)だったんですね。で、何と言ったか?

柳生兵庫助 →「殿、武蔵の剣は彼独自のものです、誰も真似できません」

尾張の殿様 →「真似が出来なければ藩士の役にも立たないのう」

ということで、仕官は取り止めになったそうです。(異説は多いですが)

そののち、武蔵は細川家に仕官をして剣術を教えるのですが、柳生兵庫助の言った通り名人は出ませんでしたね。

現存する型も実にシンプルなんですね。並の人間が何年やっても、強くなれるような気がしませんでした。

私がやっていた剣術は直心影流というのですが、これは江戸時代に次々と名人を輩出しています(修行者数の分母の違いもありますが)。なぜでしょうか?

専門的になりますのであまり細かくは書けませんが、一言で言うと上達のシステムが完成していたからにほかありません。

誰がやっても、最低限の成果が出せる。命のやり取りが当たり前であった時代では何としてでも結果を出さなくてはいけない。当然のことです。趣味で剣道をしている現代とは違うのです。鍼灸開業も、ある意味命がけですよね。(趣味でやるならば別ですが)

戦う相手は患者さんの病気であり、同業者、ということになります。

戦えない武器では、後は「死」(廃業)だけです。

結論はこうです

すなわち、名人が、名人に至るプロセスを弟子に提示できるか、なのです。

自分自身が、その師匠と同レベルの才能を有していなければ、

結論はこうです

天才的な師匠に憧れることと、自分自身ができるのとは違います。

皆さんなら宮本武蔵に入門したいですか?

それとも直心影流に入門したいですか?

この続きは・・・・科学的鍼灸上達論と科学的鍼灸院経営論で

 

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